2017.08.01.15:45

色々あって今、僕は小児科医をしています。それも独立し、兵庫県伊丹市で日々それなりに忙しくしています。

実は最初から小児科ではありませんでした。卒業後の数年間は内科で研修していましたし、当初は救急を軸にした内科医になるつもりでした。

大学卒業し大学医局には入らず、高知市にある救急病院、近森病院に雇って頂きました。当時は今と違い、民間の病院が直接研修医を雇う時代ではなかったけれど、ある大学の助教授先生の計らいで直接、近森病院の内科に就職させてもらいました。

当時は大学の様な教育システムも何もなく、周りはバリバリのプロの医師ばかり、風邪薬も点滴も検査も何もかも分からない、もちろんマニュアルや資料もない。そんな環境に自分が置かれ、さすがに図太い僕も戸惑い、何もしない、何も出来ない時間だけが過ぎた事を覚えています。

ある時、小野、お前は1人では何も出来ないんやから、しばらくは俺について動けと循環器科長に言われました。外来、病棟、検査、救急外来とついて回りました。また、消化器の優しい先生には基本的な薬、点滴を教えてもらいました。数年先輩の循環器の先生には終業後に救急の見方や処置の仕方を教わり、終われば毎回居酒屋に連れて行ってもらいました。

きっと教える側の先生方も何を教えたら良いのか、それすら分からず戸惑われたのかも知れません。特に循環器科の先生方、大先輩の消化器の女性医師にお世話になったというか、可愛がって鍛えて頂いた印象が強いです。

入職し直ぐくらいに、「とりあえず、浜重先生の回診について回れ」と言われました。今はどういう体制かは存じ上げませんが、当時は内科回診が週に2回程度あり、100名を超す入院患者さんの回診を手書き台帳を手に黙々とこなされていました。

大学病院の様にぞろぞろと大勢で回診するタイプのものではなく、とてもスピーディーで的確に指示を出したり時には怒ったりと、とにかく背筋が伸びるというか空気が止まると言うかなんというか、独特の緊張感のある回診でした。今となっては時効でしょうが、若い先生方など回診に同行する事をだいぶ避けておられましたね。ある種の威圧感もありましたし。

ただ、僕は内科の中の何科に属していたわけでもなかったので、可能な限り、回診について回りました。なんか自分の中で回診は可能な限り同行し、盗める知識は盗もうと思っていた事を覚えています。100名を超えた最後くらいの回診は僕だけが残り、部長と二人ということも良くありました。

最初の頃は何がなんだか意味不明でしたが、何回か同行させてもらうと、一言二言、僕にコメントを言ってくださいました。小野な、このCTは覚えとけよ、とか、小野な、これは稀な病気じゃから勉強しとけ、とか、こんな処方は内科医はしたら見っともない、処方は美しくや!などなど回診時の言葉数は少なく、時には乱暴だったけれど、お客様扱いされず小野!お前!とか言われて過ごした貴重な時間でした。

写真の理事長先生は当時院長先生で科が違う、その上、雲の上の存在なので、結婚式にはお越し頂きましたが、仕事場でお話した機会はあまりありませんでした。が、2度ほど、凄く怒られたことがあります。いずれも経営に関わる事項で、僕の書類作成ミスが原因でした。こんな素人同然の研修医に向かって真剣に怒って下さり、その時は凄く怖かったけれど、真の経営者なんだなと今思えば納得出来ます。

僕は結局、近森病院に居続ける選択をせず、紆余曲折あり今、小児科医をしています。きっと、辞めますと言わなければ今も近森病院で働いていると思います。まあ、内部はかなり忙しく大変な病院ですが、スタッフや病院自体の勢いを感じる事が出来、おそらく高知に限らず全国レベルでもかなりレベルの高い病院、組織だと思います。

この病院を離れ、もう10年以上の年月が経ち、組織が大きくなった分、あらゆる点が変化していると察します。が、当時、僕が内科の上司や近森病院自体から学んだ色々な事は今の自分の「根」になっていて、その「根」は順調に張り巡らされていると自分では感じています。

その体制自体はあまり変わらないのでは?変わらないでいて欲しいなと思っています。まあ、時代と共に変わる点はどんどん変わるでしょうけれど。

おいお前!おい小野!あのなー小野、小野!いらんことするな!などと言われる事がなくなった今、近森病院での経験や上司との出会いは僕の財産で、今のクリニックでの仕事にも通ずる物が多々あります。

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